関内イノベーションイニシアティブ(以下、Kii)の代表治田が「いまぜひお話を伺ってみたい!」と思う方をゲストにお迎えして本音トークを繰り広げるトークイベント「スパイシー談義」。
第二回目の9月10日(火)は、「建築家と起業支援の意外な接点とは」をテーマに、オンデザインパートナーズ代表の西田司さんをお迎えしました。
前半は西田さんがこれまでの活動を通して感じているこれからの「建築」についてお話いただき、後半は弊社代表の治田とクロストーク形式で建築家と起業家の接点についてお話しました。
今回のゲストスピーカー
株式会社オンデザインパートナーズ 代表取締役
西田司さん
西田司さん ◆プロフィール 1976年生まれ。使い手の創造力を対話型手法で引き上げ、様々なビルディングタイプにおいてオープンでフラットな 設計を実践する設計事務所オンデザイン代表。主な仕事に「ヨコハマアパートメント」(JIA新人賞/ヴェネチアビエ ンナーレ審査員特別表彰)、「ISHINOMAKI 2.0」(地域再生大賞特別賞)、「THE BAYSとコミュニティボールパーク」 「大分県立芸術文化短期大学キャンパス」など。グッドデザイン賞審査員、東京理科大学准教授、明治大学特別招聘教授。 著書に「建築を、ひらく」「オンデザインの実験」
・beyond architecture 建物を設計するだけが建築ではない時代に
・僕らは、社会から求められていることを建築を通して回答している
・「カッコいい建物をつくる」のではなく「面白い人たちと一緒にやることを後押しする」建築家
・変化する建築業界と起業家支援の向きに共通する「小商い」というスタイル
beyond architecture(ビヨンドアーキテクチャ)
建物を設計するだけが建築ではない時代に
学生時代、「建築は建物を設計すること」と学んだ西田さん。しかし、今は「暮らし」「街づくり」など、建築の概念が広がっていると感じており、それを「beyond architecture(ビヨンドアーキテクチャ)ー建築が拡張する」と呼んでいます。
人口が増え続け、建物のニーズが自然と高まっていた高度成長期と比べ、現在の日本の人口は減少している。そうすると、「生産性を上げられるオフィス環境」や「今暮らしに必要なことは何か」を考えなければいけない時に、ただ建てる、ということは正当化されない。
そんな中で、西田さんはデンマークの建築家ヤンゲールの考え方に触れ、「ただ出来上がっているものを使っていく感覚」ではなく「自分たちでリメイクして活かせる所は活かして良くする」という感覚が重要だと考えているそうです。そういう感覚で建築のスキルを使い、街や建物をどうやって「読み替えていく」か、ということを日常的に取り組んでいます。
「緑があると生産性が上がる」というデータの実証のため緑を置き、枯れてしまう緑の吸水率を上げるた方法を探り今は緑を吊るしテーブル類をアウトドア仕様に変え一週間に一回上から水を撒いているという、オンデザインのオフィスを始めとし、
街や建物を「読み替える」、様々な取り組みについてご紹介いただきました。
僕らは、社会から求められていることを建築を通して回答している
一つは、集合住宅の建築中のスペースの開放。「建築中の仮囲いが外された瞬間、いきなり新築の集合住宅が現れて街の人からするとその場所が全然違うものになる」という状況に、もともと問題意識があった西田さんは、開発の仕方を変えたらいいのではないかと考えたといいます。
そこで実施したのが、仮囲いの内側のスペースを地域の人が入れる公園のようにする、ということ。広場を作ったり、お絵描きワークショップをやったり、という中で一番反響があったのは「焚火」。街の中では焚火出来る場所が本当にないらしく、焚火をやっているとすごい人数の人が集まったそうです。子どもに見せたい、マシュマロやきたいというお子さん連れのお母さん達から、なんとそのうちマイ焚火火鉢を持ってくるお父さんもでてきたとか。最終的にパブリックスペースになるその場所を建築中から地域に開くことで、建築に反対していた人からも、「反対だけど、この場所で焚火はしたい」という反応があったそうです。これは「工事の時間のデザイン」だったと西田さんはいいます。
別の例が、「横浜ベイスターズのコミュニティボールパークプロジェクト」。
子どもを連れてきたお父さんは熱心に野球をみるけど子どもは飽きてる、といった状況も起こっている中で、野球ファンじゃない人もどうスタジアムで受け止めるかというテーマや、野球がない日もスタジアムを活用したいというところから始まったというこの取り組み。
TEDのようなプレゼンテーションイベントを行ったり、「要塞」のようなスタジアムのイベント搬入用の大きな扉を日常的に開き外から選手の練習風景が見れるようにしたりすることで、スタジアムの価値を変え、「日常の中に野球が染み出る」ための試みを行いました。
横浜にとどまらず、石巻でも復興支援の中でも西田さんは「設計」という枠を超えた活動をしています。津波で被災した商店街では、商店街再生を目指し、ものづくりの工房や高校生がPCを使える場所を作るなど様々な取り組みを通して小さな拠点を増やして行った他に、塀さした道路空間を利用した屋台村をやったり、河川敷で屋外上映会をやったりと、それはまさに「あるものをリメイクし、読み替える」視点の実践でした。
最後に、最近西田さんが関心があるテーマは「老人の一人暮らし」。
西田さんが関わったある古い建物の改修では、もともと住んでいたおばあさんが孤独死をされ、それを引き継いだ方も「60歳、一人暮らし、女性」ということで、「これはどうなの」と思ったんだそうです。そこで西田さんが行ったのは、堀をなくし、道側に配置するリビングを街に開く、という改修。それにより、「昔でいうたばこ屋」のように街を見守り、また街の人にも見守られるという、「一人暮らしの老人の住まい方」自体の変革がおきました。
「建築っていうものが扱う分野が非常に多種に、多岐にわたっていて、社会の動きを見て『今こういうことがもとめられているんじゃないか』ということを、建築を通して僕らは回答している」そう西田さんはおっしゃっていました。
「カッコいい建物をつくる」のではなく「面白い人たちと一緒にやることを後押しする」建築家
治田 西田さん、ありがとうございました!ここからはクロストーク形式で進めていきたいと思います。
改めてこう作品のことをお伺いしたときに、なんかもうこれ建築家の仕事じゃないっていうか、本当にその建築の周りを色々な実験を重ねながら、自分も楽しみながらなさっているんだなーっていうのをすごく感じました。
建築家って一般的にはこういう風にステップアップするんだよっていう話教えていただいたじゃないですか。で、皆さんが建築家ってどういう生き物か知らないので・・笑
西田さん そうですね、建築家はですね、多くの場合はどっかに勤めて修行して、30から35ぐらいで独立って言って起業するんですね。僕の場合はちょっと変わってて大学卒業した瞬間に自分の家を設計する っていうお題をもらって、飛びついたんですよね。それで設計して建てたものが、たまたま道を歩いてた人に目にとまったらしくて。犬連れたおばさんから二つ目の仕事もらったんですよ。普通ないんですよこんなの(笑)
そこがスタートで、二つ目の仕事をもらったら、運よく三つ目の仕事ももらって、で今に至っています。
治田 普通の方ってそういうステップアップにはいくつかの山があって、その通りに進まないとなかなか認めてもらえなかったりとかそういうチャンスが無かったりするのを、ご自身のチャンスをちゃんと活かして、実績もやりながら広げてったのかなって思うんですけど。
西田さん そうですね、当時建築をやってますとか言うとデザイナーみたいな印象で扱われるんですけど、あのほんとにリアル食えてなくて。
僕は横浜西口のカプセルホテルで働いてたんですよ。昼間は建築家、夜はカプセルホテルのフロントっていうそういう生活を2年ぐらいやってましたね。
治田 え、そんなことを!?
西田さん でも週に1,2回働くと軽く10万円を超えるってすごい良い職場で。まあ一晩やりますからね。売れないミュージシャンとか、演劇やってるとか、そういう人ばっかりいる中で僕は売れない建築家っていうのを(笑)
治田 いや、こないだはもっとかっこいいお話だったから。そういう話はないのかと思っていました(笑)すぐに大学の助手の話があったりとか・・・
西田さん そう、相変わらず食えないんですけど、そのあと大学の助手やらないかっていう話がきて、これすごいラッキーって思って、なったんですね。
で大学の先生色々挨拶にいって、「新しく赴任した西田です、普段は設計やってます」とかって言ったら、建築の設計で若手なので、この人は実業家なんじゃないかみたいな目線でみられて。
大学の給料安いんだけど、ごめんねこんなとこに、みたいなこといわれて。
いや僕一個前カプセルホテルなんですとか言えない、みたいな(笑)
治田 なるほど(笑)
じゃあそういうご経験もあった上で、建築家の役割について、場面場面で変遷があったとお伺いしたんですけど、そのあたりを少し。
西田さん そうですね、石巻2.0っていう復興支援の活動なんですけど、あれはかなりの数の建築のぼくらみたいな実務者が、復興支援いったんですよ。
で、復興支援いくと、大体高台移転の住宅の設計をするとか、仮設住宅をどう良くするかとか、言ったらその、プロボノ的な。まあ自分の職能使った、プロボノ的な取り組みをやったんですけど、たまたま行った先の商店街が、若い二代目とか三代目の人、要は今までは親父の世代がやってたけど、もっと若い世代が再建したいけど、どうしたらいいかわかんない。けどなんとかしたい、っていう話をめっちゃ聞いたんですよね。
で、僕らは事務所から何人か向こうに街づくり的なスタッフを送り込んで、設計はほぼやらずに、映画やりたいっていう人がいたら、映画館を作るっていうのは難しいけど、屋外映画上映会だったら自分たちの力で作れますよねっていってそれをサポートしてやったりとか。
今青山通りにある246コミューンっていう、結構おしゃれな屋外屋台カフェみたいなのがあるんですけど、そこが移転するときに余った車両があったんですよ。
それをもらって、運んできて屋台村作って。まあリサイクルというかアップサイクルみたいな。壊れてるとこちょっと直したりして。そうやって自力でクラフト的に作れる部分が結構あったんで、最小限の手の入れ方で使えるようにしてって10年ぐらいやってるんですけど、結構街にそういう意味ではやる気がある人がいられる場所が増えて。
まあ結果、まちづくりとしての、石巻2.0っていう団体なんですけど、そこは今10人ぐらいのスタッフを入れて動かせるようになったんですけど、設計はしてないんですけど、街のエネルギーを何か良い形で作るみたいなことができたんで。
作るだけよりも、なんかそういうことも一緒に感じられるとこに入るといいなっていうのを感じて、今現在に至ってますね。
治田 その辺りから何か、復興支援に入る時に、今はその色んな事業展開まで結局の所を伴奏する形にみたいになってますけど、その前の段階で、西田さんの意識が変わった出来事があったっていう風にこないだ・・・
西田さん そうなんですよ。大学の助手で、都市計画の先生と一緒に路地を面白くするプログラムを街の人を一緒に考えるっていうプログラムがあったんですね。で僕、建築専門で入ったんですけど、一生懸命こう、「庇(ひさし)が・・・」とか言うんですよ。でも街のおばちゃんとかは「飴玉があると完璧だよ、飴ちゃんを子どもにまくと子どもがやってくるよ」とか。お蕎麦屋の親父とかは「利き酒がいいよね」とかすごい言うんですよね。僕が一生懸命「庇があって・・・」っていってもまったく響かないのに、飴ちゃんの話とかめっちゃ刺さるんですよ。
街の人ってこういう感じなんだなぁって思って、10人ぐらいいろんな業種の人が集まってる中の一人だったんですけど、建築って街に対してこっちから働きかけをすると言うかコントロールする感覚よりも、この何か面白い人たちと一緒にやることをちょっと後押しするぐらいの方が、10人いたら1/10ぐらいの感覚でやった方がいいなって思って。
それまでの大学教育っていうのは、そのいわゆるニュータウン的な、街作るときは最初にハード整備からありますよってそういう教育を受けてるんで、いかにいい街をカッコよくデザインするかみたいな話にすぐなっちゃうんですけど、それって意識としては1/10から1/5ぐらいの抑えめでやった方がうまくいきそうだなっていうことを知って。
だから石巻にいった時もあまりプロボノ的に設計はやらずに、そういうしたい形成を手伝うみたいなことをやってますね。
治田 そこから仕事の幅が色々広がってきている感じなんですかね。
西田さん そうですね。
例えばさっきお見せした横浜スタジアムでキャッチボールできる話とか、別にもう建築でもないですよね。扉開けてるだけですからね(笑)
治田 でもやっぱり当事者じゃないから見えることとか、こうやったらこんな風に風景が変わるんじゃないかっていうことの広がりみたいなものっていうのは、やっぱりその発想の起こし方が色々拡張してきてるというか。そういうことなのかなって思うんですけど。
西田さん 特にベイスターズとはCSLっていう 、ベースっていう建物の2階にある、そこを通してスポーツとかクリエイティブとかを掛け合わせた街のあり方はどうかみたいなことをちょっとずつ実験してて。
こないだもカツサイっていうお祭りみたいなイベントがあってその日に応援グッズを作るワークショップやったんですよ。そのクリエイターは横浜のクリエイターで、まあベースに入っている人なんですけど。応援ボードを子どもと一緒に作るみたいな。まず2,30人限定でやったんですけど、枠が一瞬でうまって。
やっぱ子どもをそれを目当てに連れてきて、応援ボード作って、その後の試合で応援ボードで応援するみたいなやつをやったんですけど。
やっぱそれって、その試合を見るっていう体験はゴールなんですけど、その前の応援ボードを作るっていうのは、ステンシルなんですね、しゅーっとか言ってやったことないからちょっと楽しいじゃないじゃないですか、で結果その応援ボード作ったやつがバックスクリーンにに一人抜かれたんですよ。そうするとちょっと嬉しいじゃないですか、自分で作った応援ボードがバックスクリーンに映るって。
だからここまでのパッケージでそのモノづくりワークショップやると、最近で言うと Steam 教育的、な学校では習わないエンジニアリングみたいなことをちょっと楽しみながら学べて、結果それが最後、別にその選手が好きとかベイスターズ好きとかあんまり関係ないけど、応援すること自体も自分の持ってるグッズを使うと楽しいみたいな。
やっぱああいうの見てて、そういうスポーツとか野球とかっていう枠をちょっと広げるだけで、なんて言うんですかね、公園とかベースとかも含めた場所に新しい流動が、人の動きが生まれたりするんで、そういうことにその建築を使った場所の価値が高まっていくといいなっていうのは思ってます。
変化する建築業界と起業家支援の向きに共通する「小商い」というスタイル
治田 今までの建築家のキャリアとか色々少しお話しいただいたんで大体イメージついてきたかなと思うんですけども、なんかやっぱり建築家になるって凄い下積みみたいなことがあって、皆それを覚悟してこの分野に入ってくると思うんですけど。
一方でだいぶ若い人たちのキャリアの積み方とか考え方が変わってきた、という話をちらっとこないだしていただいて。建築家だったら本当に最終的にはちゃんと建築の仕事いただいてそれで名前を馳せるっていうことも一つのワークスタイルっていうのかな、スタイルとしてあると思うんですけど、なんかちょっと違った動きが出てきてるっていう。
西田さん 最近どこの分野でも増えてますけど、副業みたいな。段々結構一般的になってきてて。最近うちの事務所のスタッフで小商い始めた女子がいるんですよ。週末だけ自分達だけで、平日は場所貸しして1日限定店主みたいな人が借りてそこで小商いして、自分たちも週末小商いやってるんですよね。
なんか聞いたら、そういうことちょっとこだわりのものを自分の周りに置きたいと思った結果、好きになってきちゃって、お店始めたみたいな。
そう聞いてなるほどなーってめっちゃ思ったのは、なんか建築やってるともちろん物とかに興味を持つんですよね。暮らしとかね。
今まで設計する側だったけどその暮らしのものを扱う側にシフトしてって、昔はこれをやめてこっちみたいな話だったんですけど、どっちも両方やったらいいんじゃないかと。
やっぱライフシフトって言われて本当に2030年ぐらいにいきてる人の5割以上が90歳とか100歳まで生きると言われてるんで、二十歳そこそこで勉強したことで自分の専門性が決まって、特に建築家はほとんど専門分野に上がっていくんでそこから60年80年とかやってくのって結構きついと思うんですよ。
そんな中で気づきがあったら、また大学戻ってもいいし、気づきがあったら新しい仕事やってもいいしてなった時に今までみたいにこう言ってパキッて変わるんじゃなくて、あるところから二軸とか三軸になっていくとか、そういう風にしていくと、リスクも取れるしなんか楽しそうだなと思って。あの辺の新しい世代の人たちがやってることは面白いなと思いますね。
治田 小商いっていう話でいうと、私たちも今青葉区で小商い講座とか今度始めるんですけど。その中で自分でも感じることがあって、起業支援て、一人の、要はちゃんと稼いで、そこそこ稼がないとそれを支援する意味がないんじゃないって思ってたんですけど、小商いってなったときに、そこじゃないんですよね、ゴールがね。
西田さん なんですかね、それだけを仕事にするには、絶対なりたたないだろぐらいの。
治田 そうそうそう(笑)
西田さん なんかこう、楽しみの延長?みたいな感じでやってますね。もちろん中にはあてる人もいるし。
治田 そうそう、いるんだけど、当てるのが最終じゃないし、何百万稼ぐのが最終じゃないんだけど、こっちとしてはそれ大丈夫ですかって思うけど、意外とのんきにやれてるっていうか、楽しくやれてるっていうサイズのビジネスが、意外と今、結構皆さんそこを模索してたりするのかなって。
西田さん いや、めっちゃ思いますね。特に僕、さっき高齢者の一人暮らしの家紹介しましたけど、あれはまあ本当にタバコ屋的に街を眺めるっていう、なんか街が動いてるの見るの楽しいよねっていう、それは住まい方の話なんですけど、あれでたぶんできるんですよ。小商いが。タバコ屋が。
治田 確かに。
西田さん でやっぱり、セカンドライフ的な感じで60歳以上を考えている方って、別にめっちゃ稼ぎたいって思ってない人がやっぱ結構いて。下手したらお金は払ってもいいから小商いやりたいみたいな。
治田 そうそう、それ材料費の方がかかってるんじゃない、みたいな。ていうか、手間賃入れたら、それじゃあ全然だめだよね、みたいな・・・
西田さん そうそう。でもそういうのを地域で皆応援してるよ、みたいな感じはいいな、と思っているので。確かにちょっと起業支援じゃないんですけど、それが地域の魅力みたいな。信用経済みたいな話になっていくと、結構いいなって思いますね。
治田 そこら辺が、私たちがやってきた起業支援の向きと、建築家さんが、ある種副業ではないけど、副次的なことしてやってきたことの、まあファシリテーションみたいなこととか、何かわりと繋がってきたのかなって思ったりして。それが今日というか、こないだもお話ししてる中で、やってる事のアプローチは違うんだけど、結果としてそれが街の価値を上げたりとか建物価値をあげたりとかすることと、直結すると言うか。結局そういう物語がないとなかなか応援もしきれないじゃないですか。稼いでほしいんだけどって思っても、いやそこじゃないんだけどって言われたら、あ、そうですよね、みたいなところもありますし。
西田さん いやこの前めっちゃ驚いたのが、今日紹介してないですけど、南万騎っていう、南万騎が原駅っていう相鉄線の二俣川から一つ目の駅の、広場みたいのが三年前くらいにできて。そこの一角を、広場をつかえるための場所って言って相鉄が作った場所があるんですよね。
みなまきラボっていうんですけど。で、そこ横国と、フェリスと、横浜市と相鉄が四者で包括的にやってるんですけど、その事務局をうちがやってるんですよ。
で、最近ちっちゃいスタンドを用意して、宝くじ売り場の跡地なんですけど、一日ちょっと払ってくれたら貸しますよみたいな、そういう小商い的な場所を作ったんですよ。最初に現れた十組くらいのうちの一組の時に、いきなり現われたんですけど、結構人気だったんですけど、安かったこともあって。そのうちの一人が包丁を研ぐっていうビジネスなんですよ。いやビジネスじゃないですよね、包丁研ぐだけですよ。一応砥石持ってきて、いい感じのハチマキみたいなのやって包丁とぐんですけど、もうほとんど知り合いなんですよ、来る人が。あ、なんとかさん、ちょっと包丁持ってきちゃった、みたいな。この人のコミュニケーションなんだなと思って、それは。
治田 そうですね。
西田さん でもそれは楽しかっためっちゃ言うんですよね、一か月に一回はやりたいですって。あ~この感じあるなって。
治田 売って嬉しいとか、褒められて嬉しいとか、承認欲求ってなんかプラスに聞こえづらい言葉でありますけど、私すごいすごい大事だと思っていて。褒めてあげるとか、存在価値がそこにあるって、すごいいいことだと思うんですよね。
そのインフラを作ってらっしゃるっていうことなのかな、と思って。
大変面白いお話ありがとうございました。皆さんいかがでしたでしょうか。
あまりほんとに、つながりというか、ないわけじゃないんですけど、お話をする機会がなかなかなかったものですから、そういう中でここまで引き出せたの大変面白かったなと(笑)ごめんなさい私が笑っちゃってはいけないんですけど(笑)
そんなわけであっという間の2時間になりましたけれどもまた色々繋げていけたらというふうに思っております。
ということで西田さん本当に今日はありがとうございました 。
text mayu setogawa
edit/photo hiroyuki horigome
次回の予告
次回「治田友香のスパイシー談義」のゲストはサイボウズ株式会社の三木佳世子さんです。
トラブルによるメンタルケアのヒントを得たい、mass×massの企画やイベントに興味がある、サイボウズ株式会社の話が聞きたい方はぜひご参加ください!